今日は何の日?東京がワシントンに桜の木を寄贈する事を決めた日
ワシントンの桜と東京のハナミズキ
今日は8月18日と言う事で、1909年の8月18日に桜2000本が寄贈する事を東京市が決定した日なのです。ちなみに誤字ではありません。当時の東京市が決定した日です。まずは決定しないと桜を送る事はでいませんし、返礼の美しいハナミズキはワシントンより送られてくる事もありませんでした。
ワシントンの桜の木の話は有名かもしれませんね。「ポトマック桜」と言われるもので、1909年当時の大統領夫人であるヘレン・タフトがポトマック湖畔の景観の整備を考えていました。それを絶好の機会と考えて、日本の桜を植樹するべきだと進めたのが米国ジャーナリスト、エリザ・シドモア女史です。
ちなみにこのシドモア女史、1884年に一度来日して日本人の桜を愛でる心と、桜そのものの美しさに感銘を受けていたと言われています。それがわすれられずに機会を伺っていたのかもしれません。その後24年間に渡って桜の植樹に関する募金活動などを行っていたようです。
ちなみに、エリザ・シドモア女史だけでなく、当時のアメリカ農務省にいた植物学者のデヴィッド・フェアチャイルド博士や昆虫学者チャールス・マーラット博士も桜への愛情は大きく深いものがあったと言われています。
こうなったら動きは加速度的に大きくなっていきます。協力者を得たシドモア女史は大統領夫人へと提案を行うのです。この行動力が「ポトマック桜」の一端を担っていると考えると熱い思いがあります。
高峰譲吉博士の桜への思い
このポトマック桜に込められているのは東京の日本人の心だけではなく、在留日本人の心が込められています。その一人が化学者で実業家の高峰譲吉博士です。
大統領夫人の意向を知る以前から、独自に対日感情の改善と日米親善の為に桜並木を持ってこようとしていたのが高峰譲吉博士です。先に説明した女史の動き、そして大統領夫人の考えを知り動かないわけがありません。桜2000本の提供、そしてそれ費用を在留日本人で分かち合うと言う事まで提案してのけました。
結局は総領事や、米大使の意見もあり東京市(現在の東京都)からの寄贈とするようになったようです。1909年の8月18日に桜2000本が寄贈する事を決定しました。
しかし、上手く行かない事はあるもので、実際はその苗木には害虫が含まれているのを検疫官に発見され、大統領は送られた桜の木の苗木2000本全てを焼却処分としたのです。
これを知った東京市の市長は健全かつ優良な苗木を育成しもう一度送る事を決定し、1912年の3月に害虫だけではなく病気も全くない桜の苗木3000本を送ったのです。
こういったところで日本人のプライドを感じることになりますね。完璧なものをそれを数を増やして送る。この辺りは意地だったのかもしれません。
返礼のハナミズキへの思い
さて、3000本の桜は無事に植樹されました。そしてアメリカ側からの返礼をする際、ハナミズキを送る事が決定されました。その選定委員の中には桜の植樹を大統領夫人に提案した、植物学者のデヴィッド・フェアチャイルド博士も参加していました。
彼はアメリカで子どもたちが桜を愛でる時に、同じように日本の子供達にもハナミズキを愛でて欲しいという強い想いを持っていたとも言われています。
今も続く日米の絆の礎には桜とハナミズキによる互いの友好への歩み寄りがあるのです。
桜を守った婦人会
更に桜の木は激動の時代を生きています。1938年には隣接するタイダル池にトマス・ジェファーソン第三代大統領の記念館のようなものが建設された際358本の桜が切り倒される計画があったのですが、ワシントンDCの婦人団体が自分の体を幹にくくりつけて、270本もの桜の木を守ったと言う逸話まであります。
日本から実際に桜の木が送られたのは1912年3月かもしれませんが、「友好の礎となる日」に向かって一歩踏み出した日と考えると8月18日は感慨深いものがありませんか?
ちなみに今でも、ワシントンのポトマック桜では全米桜まつりが行われワシントン市民から愛されているようです。
カテゴリ:ニュース
2017年06月29日
New Comment