今日は何の日?8/30 YS11が試験飛行を成功させた日!
MRJが有名ですが、戦後初の国産民間旅客機はYS11
様々なTVで現在取り上げられているMRJではありますが、戦後初の民間旅客機と言うわけではありません。YS11(ワイエスイレブン)と言う機体が1962年の8月30日に名古屋空港で試験飛行を成功させています。日本航空機製造が開発作成に携わっている機体です。
ちなみにMRJについては頭文字の「M」から見てとれるように、三菱航空機が筆頭になっていう機体です。ホンダジェットなども、名前としては最近有名で日本が小型旅客機産業へ日に日に参入しているのがわかるのではないでしょうか。違いはエンジンにあり、ターボフロップエンジンというものを備えているのがYS11でジェットエンジンがMRJです。初の国産ジェットとなると間違いなくMRJでしょう。
ご存知の方は少ないかもしれませんが旧式ではありますが、YS11は2006年までは現役で旅客機用途で運行していました。もしかしたら、乗ったという方もいらっしゃるのではないでしょうか。ちなみに改良型、派生型として「YS-11-100」「YS-11A」「YS-11A-200」「YS-11A-300」「YS-11A-400」「YS-11A-500」「YS-11A-600」「YS-11A-500R」「YS-11A-CARGO」と言った形で量産されて、旅客用途で利用された後にも輸送機として利用される事がありました。
日本での用途が終わった後は東南アジアへと輸出され利用されていたようですが、何分旧式の為現在飛行しているところを見れるのは非常に稀です。
戦後国内の自国の飛行機で飛びたいと言う思い
第二次世界大戦後の日本は敗戦国であった為、航空機の製造や艦艇の製造などが制限されていました。技術そのものが失われる可能性もありましたが、技術が残ったのは皮肉にも身近で起こった戦争です。「朝鮮戦争」が1950年に勃発した後に、航空産業は活性化していきました。
会社の上の人が考えるのは何時の時代もコストの事であります。民間機と軍用機の両方を生産できればコストの削減に繋がるのではないか、そんな考えから「国内線の航空輸送を外国機に頼らず、さらに海外に輸出して、日本の国際収支(外貨獲得)に貢献する」と言った名目に変わり開発はスタートしています。
しかしながら国民と技術者の思いは違い、もう一度自国の飛行機で飛びたいと考えていた物が多く、研究は加速して言ったと言えるでしょう。
ちなみに、後に発足した「輸送機設計研究協会」では、戦時中に零戦や雷電、烈風を設計した堀越二郎さんや、飛燕や五式戦闘機を設計した土井武夫さんといった、超一流のスペシャリストが集い基本的な設計も行われていました。
YS11の名前の由来はここから来ていて「輸送機設計研究協会」の輸送機と設計のアルファベット頭文字をとりYSがついています。
日本航空機製造株式会社の設立
輸送機設計研究協会をが解散すると同時に立ち上がったのがYS11を開発した「日本航空機製造株式会社」となります。超一流のスペシャリストであった堀越二郎さん達は実機の制作にはかかわらないと宣言したので、三菱から技術部長として出向してきたのが、有名な「東條輝雄」です。
父に首相や陸軍大臣を兼任した東條英機をもつこの人物は、軍人ではなく、父の進めで技術者となっていました。ここから、TVなどでも良く特集されている紆余曲折になるわけです。
MRJとYS11の共通点
国産のジェットや、国産の旅客機と言っても、一部は海外の部品を利用しなければ、今も現代も飛行機は作成できません。出来るだけ早く完全に日本の器機で作られた飛行に乗ってみたいですね。
ちなみにこういった大型の産業が軌道に乗る、または発生するのは国内の景気が安定している、または上昇傾向にあるときではないかと思います。
いくら国産の飛行機に乗りたいと考えても会社の上層部がリスクを冒すとは考えられません。何か次の1手をと考える時に大きなプロジェクトは動きます。
その辺りは現代と共通している部分なのかもしれませんね。
※画像はWikiより利用させて頂いております。
カテゴリ:ニュース
2019年05月29日
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